夫の2カ月間の閉鎖病棟での入院生活と退院
今日はannyaです。
大変ご無沙汰しております。
2ヶ月ブログをお休みしている間に夫が退院し自宅での療養生活を始めました。
約2ヶ月の入院を振り返って
精神病的な激しい躁状態で医療保護入院させなければならなかったので、
入院当初は入院3ヶ月との診断でした。
最初の一週間は夫の攻撃的な言動が目立ったため
腰とベッドをつなぐベルトをし、
セレネ―ス(強い不安や緊張感をやわらげ、気分を安定させる)を注射されていました。
ですが、薬が最初からとてもよく効き二週間もしないうちに
躁の症状はかなり治まり穏やかな夫に戻っていきました。
(最初にお見舞いに行った数日は「お前なんてもう他人だ。
入院させたことを絶対に許さない。」と罵倒されたので、
落ち着いて話が出来る様になっていくのは涙が出るほど嬉かったですね。
もう一生許してもらえないかと思いました。)
薬も最初はセレネ―スの注射とジプレキサ(抗精神病薬)だったのが、
錠剤だけでリーマス(炭酸リチウム 気分安定薬)とジプレキサ(抗精神病薬)も
安定する様になりました。
ただ、幻聴と万能感は3週間目頃までは続き、
「特別な力がある今外に出て色々なものを見て、表現しないともったいない!」と言い毎日面会に来る私や医師に早く退院させて欲しいと懇願しました。
こう言われると私は毎回苦しい気持ちにさせられました。
この時期は、私が病院に来るのを夫はとても楽しみにしていてくれました。
それは私が食べ物を持ってくるということもあったと思います。
薬の副作用がとてもよく現れ、食欲がいつもの三倍ぐらいあったの様に感じました。
2ヶ月の入院期間中に6キロほど太ってしまい、今はお腹回りのぜいにくをどうにかしたいと毎日こぼしています...
入院生活が1ヶ月を過ぎると最初の外泊許可がおりました。
(このあたりで医療保護入院から本人の希望による任意入院に切り替わり、
本人だけの外出許可は出る様になりました。)
この頃から夫が不安感や焦燥感をよく口にする様になりました。
「同じ病室に他人と寝るのがこわい」「行き交う人がこわい」
「自分は一体これから何をして生きていったらいいのか」
将来についての不安からどんなことをして生計を立てようかと考えをめぐらし、
ほぼ毎日私に新しいプランを聞かせます。
私は躁の後は鬱の波が来るとは聞いていたので、
やはりそうなんだなと割りと冷静に状況を見ることができていた様に思います。
夫が少し鬱的になり二週間ほど続いたある日、やや突然退院が決まりました。
というのは、その前にちょっとした事件があり、
夫が病室で寝るには不安が大きすぎると訴え、
医師が躁ではない今の状況なら家で療養した方がよいと同意したからでした。
ちょっとした事件とは、夫の隣のベッドに移動になった患者さんが
夜中「殺す」と言ってきたり、夫のベッドの横にある椅子に気がつくと
座っていたりしたというものでした。
どうやらこの患者さんは病気の症状からこういった行動をした様です。
幸い看護師さんがすぐ来てくれ、夫は別の病室に移ることが出来たそうです。
入院前の夫も家族に対して「殺す」という言葉や
脅すような行動をとることがあったのですが、
病気になる前はそんなことをする人ではなかったので
この患者さんもそうなのだろうなと思います。
医師の先生も「怖い思いをしたのは申し訳なかったと思います。
でも、病気がさせていることだということはご理解くださいね。」
と仰っていました。
夫が退院した今家族として思うことは、
よい病院に入院できて本当によかったということです。
(ある赤十字病院に入院することができました。)
医師の先生も看護師さん達も穏やかな人たちで、
病院嫌いの夫も悪いイメージを病院に対して抱かずに済みました。
薬は必要最低限使うという方針であることにも安心しましたし、
家族としては地域との連携が強い病院であることにも心強く感じています。
退院時には病院常駐のソーシャルワーカーさんから
在住地域の保健師さんを紹介してもらったことは退院後の生活で
わたしにとって大きな支えとなっています。