HSP+双極性障害夫婦 ただ今生き方模索中

「敏感過ぎるよ」「難しいね」と言われ続けてきた二人が出会い、夫婦になりました。生きづらさを感じながら前に進む夫婦についての日記です。

夫を支えることで見えてきた自分の問題 Part1

1年間もブログの更新をお休みしてしまいました。

生まれ故郷に引っ越してきてからも丁度1年です。

静かな田舎でのんびり過ごす様になったアンニャと夫(今日からワンタと呼びます)ですが、それなりに色々なことがありました。

私がワンタの鬱状態をどうにかしようと頑張っても、何の成果もなく、
私自身も元気をなくしてブログを書くどころではなくなっていました。

この一年の出来事をまとめると…

・ワンタの鬱状態の継続
・ワンタの失業
・アンニャ色々なことに耐えられなくなる
・アンニャ姑を避け、家に引きこもる
・アンニャが長年の問題を解決するためカウンセリングを受け始める
・ワンタ回復し始める(?)

ざっとこんな感じでしょうか。
私たち夫婦はまだ不安定な時期を生きています。

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この一年に題名をつけるとしたら「受容 始めの一歩」でしょうか。
(その前の年は「躁鬱との戦い」だったのでだいぶ進歩しましたかね。)

受け入れ、乗り越えなくてはいけないことが山ほどありました。

 
  • ワンタがすぐに昔の様なワンタに戻ることは出来ないということ。
  • アンニャが何をしようとワンタ自身が回復したいと思わなければ回復しないということ。
  • ワンタは長年の夢だった仕事を失ってしまったということ。
  • アンニャには限界があり、仕事も家事も理想通りにはできないということ。
  • 姑とアンニャがよい嫁姑関係を今築くのは無理だということ。
  • アンニャにはまだ未解決の自分自身の問題があるということ。

たった1年で全て受け入れきれたわけではありません。

特に一番上の「ワンタがすぐに昔の様なワンタに戻ることは出来ないということ」
一ケ月に一度ぐらい(特にPMSの時)受入れられず、小さな爆発をしてしまいます。

なぜこんな人生になってしまったんだーと運命を呪いたくなる時もあります。

でも、躁鬱を経験しなければ感じなかっただろうこともあります。

ほとんどの日は、寝る前になると「二人とも無事で、楽しく会話が出来ていて幸せだ」と思います。

ワンタが躁状態の時は、一緒に居るとけんかばかりしていたし、怒ったワンタが家を出ていき、2カ月ほど住所不定の時がありましたから。

自分の問題に気が付く

更に、ワンタの鬱状態が長引くにつれて自分の問題の解決が必要だと気が付きました。

夫の鬱状態が思う様に回復していかない中で、ストレスをどんどん溜めて、ついにどうしようもないところまできてしまったのです。
ワンタのことを最優先にする間、私は自分の心の問題に背を向けてきたのだと思います。
ワンタのことだけではなく、ワンタに出会う前は仕事、その前は勉強、と私は常に何かに打ち込むことで何とか本当の問題から目を背けてきたのかもしれません。

 

ともかく、今はカウンセリングを受けています。
まだ受け始めたばかりなので、どう進んでいっているかはまたの機会に書きたいと思います。

鬱状態には行動活性化が有効と聞いたのだが・・・家族としての苦悩

鬱状態の日々

最初は呆気なく退院できたことを単純に喜んでいた私達夫婦ですが、

家での生活に移ると鬱の症状が強いことが際立ってよく分かりました。

 

病院生活は元々活動がかなり制限されていますし、一緒に居る時間が短かったので、あまり感じなかったのですが...

  • 体がともかくだるい
  • 何をするのもおっくう

なのだそうです。

夫が寝ている時間と活動している時間を比べると、残念ながら今は圧倒的に寝ている時間の方が多いです...

 

双極性障害は「躁状態の時は家族が大変で、鬱状態の時は本人が大変」と

言われています。

確かに躁状態の時は私の人生の中で一番苦しかった時だと思います。

逆に夫はたまに躁状態を懐かしがったりします(苦笑)。

それに比べたら実際に経験していないとなかなか分からないのでしょうが

鬱状態はともかく苦しい様です。

でも、鬱状態の時家族が楽かというとそうでもない気がします。

 

 鬱状態には行動活性化が有効と聞いたのだが・・・

少なくとも初期の鬱は薬を飲んでひたすら寝ていれば治るというものではなく、

無理のない範囲で気持ちが前向きになる活動を行い続けることで

気力と体力を上げていくという考え方をするのがいいみたいなんですよね。

夫の担当医師や海外に住む臨床心理士の友人もこの点に同意してくれました。

 

行動を活性化させるだけでも認知療法と同等の効果があるとも言われています。

後年になってヤコブソン(Jacobson)と同僚さは、認知療法の行動活性化を単独で用いた効果を、完全な認知療法セットと比較して検討した。多くの認知療法の信奉者が驚いたことに、単極性うつ病を消退させるのには、行動活性化を単独で行っても完全な認知療法セットと同等の効果がみられることが明らかになった。(「双極性障害の対人関係社会リズム療法」エレン・フランク著 p179)

上記に引用した対人関係リズム療法の本に「行動活性化」がいかにうつ病治療、特に無気力型の鬱病に対して有効かが説明してあります。

 

ですが、ともかく寝ていたいと言う家族を、

どうやって励まし活動を促すのか全く分かりず困っています。

 

医師はリズムを整えるために朝目に光を入れることから始めましょうと

仰っていますが、夫は朝もベッドから出てきません。

 

少し無理にでも活動させようとし何回か喧嘩になってしまい、

今は一回だけ声がけをして(「朝ごはん食べようよ」「水飲んだら」「散歩行こうよ」)

後は本人の意思に任せることにしています....

が、全く行動しない姿を見るとつい回復する様に努力していないと

イライラしたり、同じ家に居るのに独り暮ししている様な感じがして

悲しくなってしまいます。

 

本人がある程度回復してくるのを待つしかないのでしょうね。

きっと・・・

 

私の病気への理解がまだ足りないんだとうとは思います。

どっしり構えてあたたかく見守ることができる日が来るといいのですが・・・

 

 

 

 

HSPは会社員には向かない?Part2 会社退職の理由と本当にやりたいことをみつける

こんにちは。

 

以前、HSPは会社員として働くと人間関係で悩むことが多いので

自宅で仕事を出来る環境をつくって

接する人を制限して働くといいのではと書きました。

(詳しくはHSPは会社員には向かない?をご覧ください。)

 

その際に私は現在は在宅で仕事をしていると書いたのですが、

会社を退職した経緯を紹介したいと思います。

 

IT企業での3年間

3年前まで私は東京の中心にあるIT企業の企画部で働いていました。

IT業界は他と比べてもスピードが速い業界らしいのですが、

その会社も例外ではなく刻一刻と状況が毎日変わっていき

その度にタスクの量がどんどん増えていく様な所でした。

ですから、ともかく効率よく速く仕事を仕上げることがよしとされている社風でした。

 

例えば、会議中メンバーは全員ほとんどノートパソコンの画面ばかり見て

発表している人を見てはいませんでした。

パソコンで常に最新のメールや調べものをしているのです。

社内で仕事が出来るとされている人ほどそういう傾向が強く

またそういう人は余計なことはほとんど口にすることはなく

問題点をズバズバと指摘し(正論ではあるのですが)次の会議へと去っていきました。

 

仕事上同僚の「気持ち」といったものに配慮する必要はない

と考えている様な効率・売上至上主義の人たちとの

人と人のコミュニケーションのあたたかみがほとんど感じられない中で

私は毎日違和感を抱えながら働いていました。

他の人が発した言葉や待遇

(虐めやハラスメントではなく超ビジネスライクな発言や待遇)に傷つくことも多く、

恥ずかしいことですがトイレで泣くこともしばしばでした。

 

他にも私は日々こういったことを感じていました。 

  • 毎日人となりをよく知る機会のない社内外の人たちと何人も会うのは疲れる
  • 会社の売り上げではなく社会への貢献度の高いことを仕事にしたい
  • 効率性ではなくじっくり良い仕事をすることを大事に働きたい
  • 給料を上げることより残業を少なくしてワークライフバランスを改善したい

一方で、入社して3年目に入ると自分も

その社風に染まり始めていることに気がつきました。

困っている新人に冷たい対応をしてしまう様になった時、

愕然としました。

この会社に居続けたら自分は

振り分けられる仕事をこなすことに日々精一杯で

自分が気持ちよく暮らすために大事にしたいことを

見失うことになると思いました。

 

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この環境から抜け出さないといけない時が来たと感じました。

 

本当にやりたいことは何なのか 

この頃に自分が本当にやりたいことは何なのかよく考えました。

 

その際に「ザ・ミッション」という以下の本がとても役に立ちました。

  • 自分の日々の生活でウェイトを置いていること
  • 興味を持っていること
  • 考えるとワクワクすること
  • 自分の人生の大切な出来事

をリストアップするという具体的な方法が丁寧に書いてあります。

 

本当にやりたいことというのは急に湧いて出てくるわけではなくて

意識していなくても既に自分の中にあるものなんだなと納得しました。

周りの人の評価やお金、名誉、こういったことを一旦全て忘れて

自分の内側にだけ目を向けるとこんなに簡単に見えてくるものなのか、

何で今まで気が付けなかったのだろうという感じでした。

 

人生をかけて情熱を注ぐことで自分が幸せになれることは何なのか

自分とはどういう人間なのか

を知る大きな手掛かりをこの本がくれました。

 

最初に就職する際に私は自分が何がしたいのか

どうやって生きたいのかよりも

両親の価値観に合わせて仕事を選んでしまいました。

 

父親が会社員としてずっと働いてきた人でしたので、

社会的地位、長い目でみた安定、お給料のことを

考えないといけないのだと漠然と思っていましたし、

会社員以外の道があるとは考えてもみませんでした。

 

他人の価値観を自分の物差しとして生き、

自分の本当の欲求に背を向けていると

苦しくなってくるのだと思います。

 

 自分探しをしているけれど、どうやってやったらいいか分からない

という人の最初のとっかかりとして

「ザ・ミッション」は結構役に立つと思います。

 

「ザ・ミッション」や色々な本や人との出会いから、

私は子どもや人の成長に関わることや対人援助

をしたいのではないかということが分かってきました。

夫の2カ月間の閉鎖病棟での入院生活と退院

今日はannyaです。

大変ご無沙汰しております。

 

2ヶ月ブログをお休みしている間に夫が退院し自宅での療養生活を始めました。

 

約2ヶ月の入院を振り返って

 精神病的な激しい躁状態医療保護入院させなければならなかったので、

入院当初は入院3ヶ月との診断でした。

 

最初の一週間は夫の攻撃的な言動が目立ったため

腰とベッドをつなぐベルトをし、

セレネ―ス(強い不安や緊張感をやわらげ、気分を安定させる)を注射されていました。

 

ですが、薬が最初からとてもよく効き二週間もしないうちに

躁の症状はかなり治まり穏やかな夫に戻っていきました。

 

(最初にお見舞いに行った数日は「お前なんてもう他人だ。

入院させたことを絶対に許さない。」と罵倒されたので、

落ち着いて話が出来る様になっていくのは涙が出るほど嬉かったですね。

もう一生許してもらえないかと思いました。)

 

薬も最初はセレネ―スの注射とジプレキサ(抗精神病薬)だったのが、

錠剤だけでリーマス(炭酸リチウム 気分安定薬)とジプレキサ(抗精神病薬)も

安定する様になりました。

 

ただ、幻聴と万能感は3週間目頃までは続き、

「特別な力がある今外に出て色々なものを見て、表現しないともったいない!」と言い毎日面会に来る私や医師に早く退院させて欲しいと懇願しました。

こう言われると私は毎回苦しい気持ちにさせられました。

 

この時期は、私が病院に来るのを夫はとても楽しみにしていてくれました。

それは私が食べ物を持ってくるということもあったと思います。

薬の副作用がとてもよく現れ、食欲がいつもの三倍ぐらいあったの様に感じました。

2ヶ月の入院期間中に6キロほど太ってしまい、今はお腹回りのぜいにくをどうにかしたいと毎日こぼしています...

 

入院生活が1ヶ月を過ぎると最初の外泊許可がおりました。

(このあたりで医療保護入院から本人の希望による任意入院に切り替わり、

本人だけの外出許可は出る様になりました。)

この頃から夫が不安感や焦燥感をよく口にする様になりました。

「同じ病室に他人と寝るのがこわい」「行き交う人がこわい」

自分は一体これから何をして生きていったらいいのか」

将来についての不安からどんなことをして生計を立てようかと考えをめぐらし、

ほぼ毎日私に新しいプランを聞かせます。

 

私は躁の後は鬱の波が来るとは聞いていたので、

やはりそうなんだなと割りと冷静に状況を見ることができていた様に思います。

 

夫が少し鬱的になり二週間ほど続いたある日、やや突然退院が決まりました。

というのは、その前にちょっとした事件があり、

夫が病室で寝るには不安が大きすぎると訴え、

医師が躁ではない今の状況なら家で療養した方がよいと同意したからでした。

 

ちょっとした事件とは、夫の隣のベッドに移動になった患者さんが

夜中「殺す」と言ってきたり、夫のベッドの横にある椅子に気がつくと

座っていたりしたというものでした。

どうやらこの患者さんは病気の症状からこういった行動をした様です。

幸い看護師さんがすぐ来てくれ、夫は別の病室に移ることが出来たそうです。

 

入院前の夫も家族に対して「殺す」という言葉や

脅すような行動をとることがあったのですが、

病気になる前はそんなことをする人ではなかったので

この患者さんもそうなのだろうなと思います。

 

医師の先生も「怖い思いをしたのは申し訳なかったと思います。

でも、病気がさせていることだということはご理解くださいね。」

と仰っていました。

 

夫が退院した今家族として思うことは、

よい病院に入院できて本当によかったということです。

(ある赤十字病院に入院することができました。)

 

医師の先生も看護師さん達も穏やかな人たちで、

病院嫌いの夫も悪いイメージを病院に対して抱かずに済みました。

 

薬は必要最低限使うという方針であることにも安心しましたし、

家族としては地域との連携が強い病院であることにも心強く感じています。

退院時には病院常駐のソーシャルワーカーさんから

在住地域の保健師さんを紹介してもらったことは退院後の生活で

わたしにとって大きな支えとなっています。

 

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夫を精神病治療のため入院させて <妄想が・・・幻聴が・・・>

以前、父親自死という悲しい出来事と

職場への復帰という2つの変化にさらされた夫の

最初の一カ月間の様子を書きました。

 

要約すると一カ月目の躁状態の症状としては大体こんな感じです。

・寝ていないのに異様に元気

・焦りと責任感から仕事をバリバリこなす

・誰に対しても怒りっぽい

 

二ヵ月目に入ると私や職場の人との衝突が多くなりました。

その原因となったのが躁状態の妄想と幻聴でした。

 

「」内は夫が当時口にしていたことです。

 

被害妄想

「家でも職場でも自分のアイディアは

ことごとく受け入れてもらえない。

腹が立つ。」

 

躁状態の夫はともかく色々なことに意欲的で

新しいアイディアがポンポン出てくるのですが、

周りは その数が多いことや

意見を求められずに実行に移されてしまうことが

自分勝手に思われ戸惑いました。

 

「職場の人が自分に嫉妬して意地の悪いことをする。」

 

職場での夫と同僚のやり取りを見たことはないのですが

以前は親しさを感じていた同僚のことを

急に悪く言う様になったことから考えると、

相手は夫の怒りっぽさや勝手な行動に戸惑っていて

コミュニケーションが上手くいかなくなっていったのではないかと思います。

 

休職した夫の代わりに私が職場に連絡を取るようになってからも

職場の人たちは親切でしたから。

 

「妻(わたし)が他の男性のことを考えている。

浮気をしている。」

 

私がぼーっとして居るのを見ていきなりこういう考えになってしまいました。

夫はもともと見捨てられ不安が強かったのですが、

躁状態になってそういった部分が助長されていた様に思います。

 

この点については担当医師とも話したことをふまえて

また後日書きたいと思います。

 

誇大妄想

誇大妄想にはこんなものがありました。

「自分には亡くなった父親からもらった特別な力が宿った」

「自分は今まで尊敬していた恩師が脅威に思うほどの力をつけてしまった」

「職場の人たちの居るところが頭の中に地図があって分かる」

「物を手に取るとその物がたどってきた歴史が分かる」

「人の名前や写真を見ただけでその人に会わなくても人柄が分かる」

 「自分の力は世界の平和のために使わなくてはならない」

幻聴

幻聴について夫はこんなことを言っていました

 「頭の声にYes Noで応えられる質問をするとよいアドバイスをくれる」

 「声は12人ぐらいの色々な知ってる人や知らない人の声で、自分がしていることに絶えずつっこみをいれてくる」

夫はこの声に従って常に行動する様になってしまいました...

買い物をし過ぎる

 二ヵ月目に私との衝突が増えたもう一つの原因として

夫が買い物をし過ぎる様になったことがあります。

 

少々ケチすぎる位お金を使わない私は

夫が外出先からその日に買ったものを持って帰ってくる度に

白い目で見てしまいました。

 

この頃はその後とは違い購入した物の額は小さいですが、

ともかく自分の好きな物をそこにあるだけ買う様になりました。

後から当時のことを聞いたところ、全てが素晴らしい物に見えて全て手に入れないと気がすまない感じがしたのだそうです。

・古本を段ボール一箱 

・ブローチを10個 

・サングラスとメガネ5本

・お香10種類と香炉5個

・ワゴンセールをしていたお皿やグラスをワゴンごと

・名作映画のDVD20本

我が家には物がどんどん増えていきました。



この頃の私は夫が何か良くない状態に

陥っていると感覚的には分かったのですが

それが一体なんなのか

どうやったら解決できるかは分かりませんでした。


自分の父親自死してしまったのだから

それを乗り越えるために正常ではない

言動をしてしまっても

仕方ないのではないかと考え、

まずは夫に共感をしようと試みるのですが

理解できず戸惑うということを

繰返し悩む日々が続きました。


親との関係 過去を乗り越えて生きていくには <私の場合>

最近夫の病気について書いていましたが、

そちらは一旦休憩させてもらい

今回は過去を乗り越えて生きていく

というテーマで考えたいと思います。

 

夫が薬を服用することで

病気の方は今落ち着いているのですが

彼の心を大きく乱す要因が他にあります。

 

それは家族、特に母親との関係です。

 

私たち夫婦は二人とも

仕事中心の生活で毎日家に帰ってくるのが遅い会社員と

教育熱心な専業主婦の家庭で育ちました。

どちらも経済的には何も問題なく過ごしました。

 

ですが、夫も私もHSP的な敏感さがあることもあり

両親に対しては複雑な想いを持ってきました。

 

<私の場合>自分の気持ちに共感してもらい、当時の親の視点も理解したことで解消

親元から離れていた大学時代に

母親への想いが大きくなりすぎ

当時付き合っていた人に

満たされない気持ちを日々ぶつけてしまいました。

始終一緒にいて自分に愛情を注いで欲しいという

不当な要求をしていたのです。

 

そんな中であるカウンセラーに出会い

私の行動が親に対する怒りからきている

ことを指摘されました。

 

それ以来自分の溜め込んできた想いを

母親にぶつけ出しました。

 

子どもを別の人間として認めてくれず、

自分の価値観を押し付けてくる、

感情的で怖いと思っていた母親でしたが、

大人になった私の話には耳を傾けてくれました。

 

母は自分がしたことは覚えていないと言うことはあっても(苦笑)、

私が苦しい、悲しいと感じたという事実を

拒絶することはありませんでした。

寧ろ共感的でさえあり、

当時は子どもの人格は尊重しなくてはならないことも

分かっていなかった

悪いことをしたとも言ってくれました。

 

また、当時自分はどうしたら「よい母親」になれるか分からなかったこと、

「よい母親」になるために必死だったことを語ってくれました。

 

こういったことを聞き

私も母の愛情は感じることが出来ましたし、

「母も父のサポートがほとんど全くない中で

子育てをしてストレスが溜まっていただろう」と

母の視点から昔の思い出を振り返ることが出来るようにもなっていきました。

 

ですが、私の中の母親への憎しみは一回の話し合いでは消えず

こういった過程を10年ぐらいの間に何回も繰り返しました。

 

親ともめることは今でもありますが

以前の様に昔されたことへの怒りに苦しむことはなくなってきました。

 

この体験から感じたことがあります。

親が子どもである私の感じたことに十分に共感を示してくれたことで、

私は親の側の話を受け入れることが出来るようになった

のだと思います。

 

10年かかりましたが

・親が話し合いをすることに協力的

・親が自分の過ちを認める準備が出来ていた

という点でとても恵まれていた様に思います。

私が働きかけさえすればスムーズに解決の方に進んでいったのです。

 

それに比べて夫の場合は大変です・・・

 

 

夫を精神病治療のため入院させて <きっかけはストレス>

夫が今回精神病を発症したのは

多大なストレスに一度にさらされたからだと私は考えています。

 

まず、夫は実の親を自死で亡くしました。

 

それだけでも十二分に大変なことだと思いますが

その直後に前から計画していた通り

新しい仕事を始めなければなりませんでした。

 

普段から繊細なところがある夫でしたから

注意深く見守り、いつもと違う所があった場合は

すぐに助けを求めることが出来たらよかったのですが

夫の言動に私は混乱し、そのチャンスを逃してしまいました。

 

私は近しい人を亡くした人は

深い悲しみから落ち込んだり、食欲を無くしたり、不眠になったり、

自分を責めたりするものなのではないかと思い込んでいました。

 

夫は元々落ち込みやすく、

過去に大きな変化があった際には

鬱的になってしまうことが数回ありました。

 

ですから今回も落ち込み

鬱的になってしまうのではないかと心配をしていたのです。

 

ですが、直後に激しく悲しみを表現することはありましたが、

全体的にはどちらかというと逆の事が起こり始めました。

 

夫はエネルギーに満ち溢れ、仕事もプライベートも精力的に活動し、

自分に自信を持つ一方で他人には短気になっていたのです。

彼は私にも辛そうな顔を見せず、寧ろ生き生きとしていました。

未来への希望に満ちている感じで

子どもをつくろうと話すようになりました。

 

私は彼の様子が大分変わったことにうっすらと不安を感じていましたが

「親を亡くすということは性格が変わる位大きな影響があるのかもしれない」

「彼はなんとか前に進もうと逞しく頑張っているのだ」

などと考えていました。

 

それでも怒りっぽくなっていることと

睡眠不足(ほとんど眠れない日と5時間眠る日が交互にきている)は

とても気になっていました。

ですが、彼に「大丈夫だ」と言われると

徐々に改善されるだろうから見守ろうと思うに留まりました。

 

当時の私は家族としての自分の役割を

彼がしっかりと栄養のある食事をとれる様にし、

家で気分転換が出来る環境をつくり、

彼の話を聞くことだと思っていました。

 

それに子どもがとても欲しかった私は

妊娠・出産の準備に気をとられる様になってしまいました。

 

そんな訳で大きな変化があってから一カ月ほど経った時分では

病院に連れて行くということは全く頭に浮かびませんでした。

 

今思い返すとその時点で夫を説得して病院に行き

せめて睡眠薬を飲むようになっていたら

悪化を抑えることが出来ていたのかもしれません。

 

睡眠が極端に少ないことも影響してか

その後は幻覚や幻聴、妄想が強く表れてきます・・・